悲恋な跡←日 / 実らなかった恋
あの人は雨男で、結婚式の日も、雨が降った。
新郎が花嫁の手を取ってバージンロードを進んでいく。
あの人が横を通った時にふわりと香って来たのは、花嫁のブーケの香りじゃない。
最後に二人で会った時と同じ、甘くて華やかなのに少しいがらっぽい、あの人の香水の香りだ。
白いスーツの背中を見る。
真っ直ぐに伸ばされた、スポーツマンらしく姿勢のいい背中。
まだ何も知らない子供だった頃から、何度も眺めた背中だった。
部活の先輩だったあの人に恋をしたのは、一体、いつだったのだろう。
あの人は、華やかで派手好きで、部の中でも一際目立つ人だった。
他に誰もいない二人きりの部室で、特にこだわっているのは、香りのお洒落なのだと教えてくれたことがあった。
「シャワーの後には必ず香水を付けてる。その為に無香料の石鹸を使ってるくらいだ」
まだ子供だったから、そう言って自慢そうに香水瓶を見せてくれたあの人が、ひどく大人びて見えた。
「お前も少しは洒落っ気を出せよ。俺が使わねぇのをくれてやるから」
そう言って、あの人が投げて寄越したのは、何故か女性ものの、ガーデニアのオードトワレ。
どうしてこんなものを持っているか聞くのは野暮だろうと、礼だけを言って受け取った。
そうしたら、ここでつけてみろと、そう言われて。
戸惑っていたら、あの人が宝石みたいな香水瓶を取り上げて、指先にひとしずくトワレを乗せて、その指を左の首筋に滑らせた。
くすぐったい感触と同時に広がる濃密な甘い香りは、雨の日の庭でよく香っていた、白い花の甘い香りによく似ていた。
「……確か、こんな香りの花が、梅雨の頃に庭に咲いていましたよ」
そう言ったら、あの人の口元が少し笑って、あの人の鼻先が首筋に近付いて香りを嗅いで。
そうしてそのまま、首筋に、ひとつだけくちづけをくれて離れていった。
「悪くねぇ。お前、明日からそれつけてこいよ」
細めた目に悪戯っぽい笑いを浮かべて、あの人は、偉そうに先輩風を吹かせてそんな事を言って。
キスされたところを押さえたまま、俺はただ頷く事しかできなかった。
――結局、あの人とは、それきり何もなくて。
貰った香水は、大事な思い出として、抽斗の奥にしまい込んだ。
そうして、そのまま何年も、何も伝えることができないでいるうちに、この日が来てしまった。
あの人が、綺麗な女性と幸せになる日。
伝えられなかった想いを、静かに胸の奥底に沈めて弔ってやる日が、来てしまった。
あの人が、花嫁のヴェールを捲る。
幸せそうな顔を見たくなくて、目を伏せた。
視線を下げて、ふと、あの人の香りに、別の香りが混じっている事に気付く。
それは、花嫁のブーケの香りじゃなかった。
あの人の胸に飾られている花に気づく。
つやつやとした緑の葉の上に、真っ白い清らかな花を咲かせているのは。
ガーデニアの――くちなしの花だった。
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