あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
レトロな薪ストーブの上で、琺瑯のポットが湯気を吹く。
ガラス張りのサンルームは、中の温かさで外の景色をうっすらと曇らせていた。
「今年は皆さんいらっしゃるんですね」
手を止めた日吉が、細い蔓の眼鏡を直す。
「ああ、去年酒飲んだのがバレちまったからな」
ノートに視線を向けたまま苦々しく言った俺を、日吉は少し皮肉気に笑った。
「あれじゃ、大人を追い払って悪さをしたようにしか見えませんよ」
「そんなつもりはなかったんだが」
今日は朝から初詣に行く予定だったのに、大晦日の夜更けに降った雪は思ったより深く、俺達は予定を変更して屋敷で過ごすことにした。
それなら課題を終わらせましょうと、日吉は冬休みの宿題を抱えてきた。
その上、眼鏡姿で無防備に俺に寄り添って解き方を訊ねてくる。
だから俺達は、生真面目にも元旦の朝から冬休みの課題に向き合っていた。
「ぼっちゃま、日吉さま、そろそろ一息入れられてはいかがですか」
丁度いいタイミングで、ミカエルが紅茶のワゴンを運んできた。
俺達の集中が切れてくるのを見計らっていたんだろう。
「課題は随分残っていらっしゃるのですか?」
ミカエルがそう尋ねれば。
「今日中には終わりそうなんですが……でも、まだ少しかかりますね」
日吉は、俺に対するよりも丁寧に返事をしやがった。
「普通のミルクティーじゃないんですか?」
ミカエルはミルクティーを注いだカップをそのまま出して寄越さずに、ティーカップの上を渡すようにスプーンを乗せた。
「元旦から頑張っていらっしゃる感心なお二人に、魔法を掛けて差し上げましょう」
スプーンに小さな角砂糖を乗せたミカエルは、小瓶から液体を注いでマッチを擦った。
スプーンの上に、青い炎が燃え上がる。
ミカエルは火のついたスプーンごと砂糖をミルクティーの中に落とし、二度三度かき混ぜた。
「体が温まる、魔法のミルクティーでございます」
二人分のミルクティーがテーブルに並んで、焼き菓子の乗った皿が置かれる。
日吉が口を尖らせて湯気を吹くと、眼鏡がうっすらと曇る。
その湯気と一緒に、甘苦いラム酒の香りが俺の鼻先を撫でた。
「テニス部の皆様からの分をお持ち致しました」
ミカエルが差し出した年賀状の束を日吉が受け取る。
一番上に乗せられた、上品な紺のカードは榊監督からのものらしい。
「俺が出した分も入っていますか」
「ええ、日吉様からの年賀状もお入れしておりますよ」
俺宛ての年賀状だというのに、なぜか日吉が我が物顔で読み始める。
ミカエルは一つ咳払いをして、いつものように俺に向き直った。
「本日はシェフがおせち料理をご用意しております。
重箱に料理をお詰めし、お餅とお雑煮を準備致しましたが」
「昼食はもう少し後でいい」
「アンタは餅なんて食べ慣れないでしょう。
喉に詰まらせないよう注意して下さいよ」
皮肉めいた日吉の言葉は、爪を立てる子猫の悪戯みたいなもんだ。
だが、俺より先に返事をしたのはミカエルだった。
「ぼっちゃまよりも、ミカエルの方が危のうございますな。
ミカエルめに何かございました時には、日吉さま、ぼっちゃまを頼みます」
普段は目上だろうとお構いなしの日吉も、ミカエルの言葉には少し焦ったらしい。
「ミカエルさんも気を付けないと」
「これで安心でございますね」
慌てた日吉の言葉にも、とぼけていたミカエルが、ふと俺に顔を寄せ、内緒話をするように声をひそめてウインクをした。
「もちろん、ぼっちゃまのお好きなローストビーフもたっぷりお詰めするよう、シェフにお願いしておきました」
やれやれ。ミカエルに掛かれば、俺も日吉も小さな子供と同じ扱いだ。
「ぼっちゃま。陽が出て、雪も融けてきたようでございます。
元朝参りにいらっしゃるのなら、お昼を召し上がってからお出になってはいかがでしょう」
外を見れば、淡く霞んだ窓の向こう、薄い雲の合間から太陽が顔を出している。
雪が融け、水滴がバルコニーの手摺りを楽器のように奏でていた。
「そうだな。二人でいるのに、元旦が課題だけで終わってしまうんじゃ面白くねぇ。
日吉、午後は出かけるか?」
「ええ、構いませんよ」
「お昼の支度が整うには、今しばらく掛かります。
どうぞ課題をお済ませになってお待ちくださいませ」
年賀状から顔を上げた日吉が、ガラス張りの天井から差し込む日差しに目を細めた。
近付いた唇にキスをするには、眼鏡が邪魔だ。
「課題さっさと片付けちゃいましょう、跡部さん。
どちらが先に終わるか競争しませんか?」
日吉の唇が薄く笑って、俺に差し出す年賀状の束の一番上に、『下剋上』の三文字。
メレンゲの白い焼き菓子に手を伸ばす。
口に入れれば、それは、小春日和の淡雪のように瞬く間に溶けていった。
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