2014年・猫の日ネタ
何かを見間違えたのかと思った。
「……にゃーん」
麦わら色の日吉の髪の上に、同じ麦わら色の猫の耳。
迎えにやったリムジンから降りた日吉が発した第一声に、どうしたものかと戸惑う。
ご丁寧に手を握って丸くして、猫の手を表現していやがるらしい。
「……お手」
「そりゃ犬でしょう」
「……人間の言葉は覚えていたようで何よりじゃねーの」
反応に困った俺がそんな事を言ったら、日吉は溜息を吐きながら、猫耳のついたカチューシャを外した。
「思った程ウケませんでしたね」
取り外した猫耳カチューシャを鞄に仕舞って、日吉はラケットバッグを肩に担ぐ。
「アンタの所はコート除雪できたんですか? どこも凄い雪ですけど」
「いや、それより今の説明しろよ。一体なんだありゃ」
「猫の耳と啼き声に決まってるじゃないですか」
「一体なんであんなことをしやがったんだ?」
問い質す俺に、日吉は面倒臭そうに眉を寄せた。
「今日は2月22日。にゃんにゃんにゃんの語呂合わせで猫の日なんだそうですよ」
「で?」
「猫耳のコスプレで喜ぶ男は多いそうなので、試しにやってみただけです。それで今日は試合できるんですか?」
日吉はコートが使えるものなら、すぐにでも試合をしたいらしかった。
まだ朝の八時、気温は1度か2度程度だ。
コートの除雪は終わっているが、試合をしてやるにしても午後のもう少し空気が温まった時間にしたい。
そして何より、俺は、日吉がさっさと鞄に仕舞ってしまった、猫耳の付いたカチューシャと、それを頭につけた日吉の姿が気になって仕方なかった。
「なんで折角付けた猫耳外しちまったんだ」
「アンタは別に面白そうでもなんでもありませんでしたから。コート使えるのかって聞いてるんですけど」
「もう一遍頭に猫耳付けたら教えてやるよ」
俺がそう言えば、日吉は至極面倒臭そうに鼻の付け根にぎゅっと皺を寄せる。
大体にして、日吉は俺が驚いてる間に猫耳を外してしまったから、ちゃんと見ちゃいねぇ。
「ウケなかったネタなんて、四天宝寺のあの二人だって繰り返しやしませんよ」
「意外すぎて驚いたせいでちゃんと見てねぇんだ」
「それはお生憎様ですね」
日吉は肩に担ぎあげたラケットバッグを地面に降ろした。
「跡部さん、こうして立ち話してるのも寒いんですけど。
部屋かコートかどちらかに案内してもらえませんかね?」
日吉はリムジンを降りたその位置から一歩も動いていない。
空調の利いたリムジンを降りて数分が経つ。
寒がりの日吉には、今のこの気温は辛いんだろう。
それも俺が日吉の手前で立ち尽くしたままどこにも移動しようとしていないせいだが。
礼儀正しい日吉らしく、場所は知っている癖に、俺の案内なしにコートにも部屋にも行くつもりはないらしい。
「……かわいい子猫なら、温かい俺様の部屋に案内してやるぜ?」
そう言ってやったが、日吉は僅かに首をかしげただけで、再び俺に猫耳姿を見せてくれるつもりはないようだった。
「俺は可愛い小猫なんかじゃありませんし、案内する気がないって言うなら、このまま帰りますけど?」
日吉はまるで猫のように、大きく目を開いて、その目で、じっと、俺を見詰めてくる。
そうだ、日吉はまるで猫みたいな奴だ。
気にくわないことは気にくわないと言うし。
あんな猫耳なんかを頭に付けて、気まぐれに俺の歓心を引こうとする。
その癖俺の反応に臍を曲げて、ふいと顔を背けたまま、まるで棚の上にでも逃げちまった猫のように、二度とカチューシャを付けようとはしない。
「ぬれせんべい、用意しておいたぜ」
表情を動かさないまま、ぴくりと、日吉が顔の角度を変えた。
「部屋も暖めてあるし、番茶もすぐに淹れられる」
日吉が瞳を動かして、ふと、その顔を宙に向けた。
「帰っちまうなら用意した奴が、無駄になるな」
何もない空を暫し見上げていた日吉が、溜息を吐きながら、ゆっくりと俺に向き直った。
「食べ物を無駄にするのは感心しませんね。俺が片づけてやりますよ」
ラケットバッグを再び担ぎ上げた日吉が。
すい、と、俺の脇をすり抜ける。
……なんで、ズボンの尻から、長い尻尾が伸びているんだ。
「おい、テメー。その尻尾」
俺が声を掛けても気にした様子はなく、玄関のドアの前で立ち止まった。
「部屋にいかないんですか?」
尻尾の件については触れようとしないが。
俺に背中を向けている、その首筋が薄赤くなっていたから、とりあえず今は赦してやる。
「この前跡部さんの部屋で頂いたぬれせん、美味しかったですよ」
俺がドアを開ければ、日吉は、当然のようにその隙間を通る。
一歩ごとに左右に揺れる長い尾も、日吉の髪と同じ、温かい麦わら色で。
そういえばこんな毛色の猫も、そこいらを散歩していやがるな、と、ふと思った。
「……試合なら午後だ。まだ寒みぃからな」
「同感ですね。コートを使って試合するのは、雪が降る前が最後なので久しぶりですよ」
「さっきの猫耳は」
「そんなに気になるんなら、後で少し位見せてやってもいいですよ」
ちらりと俺に流し目を寄越して。
日吉は悪戯をする猫のように笑う。
「あの猫耳、アンタの分も用意してあるんです。
俺がつけてやるんだから、アンタも付けて下さい」
そして、長い尾をくねらせるように、日吉がくるりと俺を振り返った。
この性悪猫は。
どうしても俺を翻弄したいらしい。
「――猫に名前をつけるのは全くもって難しい、って詩があったな」
ふと思い出した、英国の詩人の古い詩を口にした俺に、日吉は、フンと笑ってみせた。
「猫には三つの名前がある、ですか」
「一つは、毎日使う名前、もう一つは、猫が誇りを保つために必要な、特別な呼び名」
「最後の一つは、人間様には思いもつかない、深遠で謎めいた、たったひとつの名前、でしたっけ」
「あぁ」
意味ありげに目を細めて、俺の部屋のドアの前に立った日吉は、俺が扉を開けてやる事を疑いもせず。
まるで外に出たい猫のような顔をして、待っている。
「残念ながら、俺は名前を考えて一日を過ごす程、暇ではないようです。
猫じゃアンタに下剋上できませんからね」
そして日吉は俺の肩に手をついて、耳元に唇を寄せて。
にゃあ、と、密やかに、一声啼いた。
「今日以外は、ですけど」
PR