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2024.05.19 (Sun)
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月籠り / 月立ち

2013年のお正月小説
文字数制限なしバージョン



 人のいない屋敷はまるで良く出来た巨大な模型のようだった。いつもはメイドや執事やコック、運転手や警備といった、俺一人に仕えるには多すぎる位の人間がこの屋敷を“生かして”いる。その沢山の人間が誰一人いないという状態は、屋敷が巨大であればある程、不気味な位の沈黙が恐ろしい程だった。
 大晦日から、屋敷の中には誰一人いない。何、大したことはない。全員に正月休みをくれてやっただけのことだ。今までの年は交代で休ませていたが、皆、家族や恋人と年明けを一緒に過ごしたいだろうと、そう思って一気に休みを取らせた。
 ミカエルは直前まで反対していたが、これで何年かぶりに新年を家族と一緒に過ごせますと何度も礼を言って、30日のそれでも夜の便でヒースローへと発った。
 ただ、警備だけは、万が一、俺が誘拐でもされたらいけないときつく言われて休ませてはやれず、仕方なしに、門の前の詰所に数人を残させた。
 それでもどうせこの安全な日本でわざわざ大晦日に誘拐を企てる奴もいないだろう。大晦日の夜には近くのホテルからディナーを届けさせ、また、親父宛てに届いていた山のような暮れの届け物の中から高そうな酒瓶を選んで、俺自身が詰所に届けた。
 そうしたら「ここにいるのが一番安全ですから」と言われて、詰所の炬燵に座らされて、そのまま酒盛りの席に引き留められた。
 仮にも雇用主の俺が居れば、窮屈だろうとそう思ったのは俺だけのようで、どうやら連中は、俺を子供扱いしたいらしかった。
 わざわざ年末に詰めるような警備スタッフはみな年配で、女房とは随分前に離婚したとか、息苦しくて家に帰れないとか、家庭環境には問題がある奴が多かったらしく、いつもぼっちゃんぼっちゃんと言っていた連中がやたらに、やれ何人前の彼女はいい女になるだの、学校の勉強と部活だけではいけませんだの、十五になったら酒くらいは飲めないとだの、そんな話ばかりを言ってくる。
 気が付いたら目の前には空のドンペリニヨンが何本も転がっていて。ぼっちゃんも年越しそば食いますかと聞かれたから頷いた。電話の声を聞けば、どうやらどこか気の利いた蕎麦屋が年越しそばの出前をしているらしい。
 啜って食べるあの食べ物には、どうにも慣れないが、しかし学食で旨そうに蕎麦を啜っていた宍戸を思い出しておかしさに一人笑った。どうやらアルコールが脳にまで回ったらしい。
「そうそう、明日ぼっちゃまに俺からお年玉があるんですよ」
 一番年配で一番古株の警備スタッフがそう言ってニヤリと笑えば、他の連中が、ぼっちゃまはお前のくれる小銭なんかありがたくもねぇだろう、と、そんな事を言う。
 俺も別にいらねぇと、炬燵の天板からアルコールで鈍くなった頭を上げたら、「明日とびっきりのお年玉が届く予定ですから」とそう言って寄越すから、金じゃねぇんだなと理解した。
 間もなく蕎麦が届いて、蕎麦の食い方を教えられる。
「いいですかぼっちゃん、江戸前の蕎麦は、このキリッとしょっぱいツユをほんのちょっとだけ蕎麦の先に付けて、この御常法通りの細い蕎麦をするするっと手繰るんです。粋な江戸の男前はやたらに沢山蕎麦を掴んじゃいけねぇし、風呂に入れるみてぇにじゃぶじゃぶツユにつけてもいけねぇ。それに噛んで食うのも野暮ったくていけねぇや。甘ったるい田舎風のツユも俺ぁ勘弁して貰ぇてぇ。ああ、俺ぁワサビもいらねぇんだ。折角の蕎麦の香りが飛んじまう」
 成程、この音の立つ食い物にもそれなりの美学があるのかと理解して、その話を聞いた。
 詰所に一つだけある小さいテレビの画面では、深い雪に埋もれた寺の中で坊主が鐘を撞いていて、あの歌合戦とかいう歌手共の勝負事は結局どちらが勝ったんだろうかと思う。冷たい蕎麦が酔っぱらって火照った体にやけに旨い。ついでに冷えた日本酒まで飲まされて、このサイズの猪口で飲むのがちょうどいいと思いながら、気づけば量を過ごしていた。

 ――夢を見た。
 日吉と手を繋いで、隅田川の畔、桜並木の道を歩いている夢だった。こうして、一緒に花見がしたかったんです、と、はにかみながら日吉が言った。恐ろしく人の多い道を、はぐれないように、しっかりと手を握って歩く。前に進むのも難しい程の人混みに、後ろを向いても握っている手の感触以外、日吉の姿を見つけることが出来ずに、焦る。
「日吉!」
 名前を呼んでもがやがやとした人の声が聞こえるばかりで、日吉の返事は聞こえない。手を握っている感触はあるような気がするが、手を一度も開いてはいないというのに、握っている自信が持てない。このままでははぐれてしまうと、酷く焦った。
 とにかく手を握っている筈だとそれだけを信じて、少しでも人のいない所を目指して歩く。川岸に降りれば、急に周りから人の姿が消える。川と周りの家々の様子が、先ほどと違う。ドイツ特有の家の形。彼方に見える山々。ここは――ライン川じゃねぇのか。
 振り返れば、一度も手を離していない筈なのに、日吉の姿はない。ただ、視線の先で、手塚がラケットを握ってコートに立っていた。
「早くしろ、跡部」
 そう言われて気づけば、手の中にあるのは、日吉の手じゃなく、ラケットだ。頭上から舞い落ちてくる桜の花びらに呆然とする。
「ちょっと待て、手塚。日吉がいねぇ」
「日吉若なら、跡部、お前が、日本に置いてきたんだろう」
「置いてきた?」
「お前に手を離されて、泣いていたぞ」
「さっきまで手を握ってたんだぜ?」
「お前と花見がしたかったと、そう、言っていた」

「――やめろ!」

 突然、足に氷の塊が触れた。

 目を開けて、見慣れない部屋に、ここがどこか分からなくなる。何か酷い夢を見ていたような気がするが、もう、思い出せない。
 眩暈がする。喉が渇く。二日酔いか――と、目の前に転がるボトルを見てそう思った。
 足に触れる冷たい感触に、爪先を伸ばした。これは一体何だ。氷を押し付けられたと思って目を覚ましたが、どうも様子がおかしい。氷みたいな冷たさだが、妙に柔らかい。爪先でそれを突いた。考えようとすると、頭に鈍痛が走る。炬燵の中を覗いて確かめればいい――と気づいて、これは誰かの足か、と、分かった。
 そういえば、ここは警備スタッフの詰所の炬燵の中だ。蕎麦を食った後の記憶がない。顔の下にあるのが二つ折りの座布団で、自分がまだ半分夢の中にいるような状態で微睡んでいるのだから、これはきっと外から来た誰かの足なんだろうと思う。しかし、靴下も穿かない足じゃ、氷みたいに冷えても仕方ない。どうして裸足なんだ。
「仕方ないでしょう。道場からそのまま来たんですから。祖父と父と兄貴に見つからないように、元日の宴会からこっそり逃げて来たから、着替えたり足袋穿く余裕もなかったんです」
 俺の頭の中の疑問が無意識に口に出ていたのか、日吉の声がそれに答えた。ああ、そこにいたのか、と、なぜかやけに安堵する。
 じゃあ仕方ねぇ。日吉は道場で越年稽古があって、そのまま新年会になるから、大晦日も元日も会えないとそう話したんだった。なら、この柔くて冷たいのは日吉の足か、と、もう一度その冷たい感触に足の裏で触る。冷たい。これじゃ風邪でも引いちまうぞ。

 いや、ここに日吉がいる訳がないだろう。ならどうして日吉の足があるんだと――はっとして、目を開けて起き上った。
 昨日飲み過ぎたせいか、くらりと頭が揺れる。炬燵の向かいでは、真新しい道着姿の日吉が、平然と菓子盆に盛られたみかんを剥いている。二、三度、瞬いて、信じられない思いで、目の前の日吉を見た。
「あけましておめでとうございます、跡部さん。みかん食べます?」
「……なんで、ここに」
 白い筋まで綺麗に取ったみかんの房を受け取って、俺はまじまじと目の前の日吉を見た。
 今日は会えなかった筈の恋人の姿に、まだ夢なんじゃないだろうな、と、目を擦った。
「跡部さんが屋敷の皆さんにお休みを出して、正月から一人だと警備の方に聞いたので、お節も食べられないんだろうと思ってからかいに来ました」
 そんな事を言って、澄ました顔のまま、日吉がニヤリと口角を上げた。
 寒そうな道着姿で、わざわざ元旦に、裸足で、家から小一時間かかる俺の屋敷までからかいに来る馬鹿がどこにいるのか。
「跡部さんの事を祖母に話したら、うちの新年会のお節を重箱に詰めれるだけ詰めた上に、雑煮の鍋まで持たせて寄越しましたよ。
 座敷一杯に門下生が集まってるし、酒も入ってるし、しばらくは俺一人いなくても気づかれない筈だから、お家に一人ぼっちでお節食べられない可哀想な子に持って行ってあげなさいって」

 ――氷みたいな冷たい足して、何を言ってやがる。
 俺を可哀想な子扱いをした日吉は綺麗に向いたみかんをもう一房俺に寄越した。それを口に放り込めば、青っぽい酸っぱさが口の中に広がって、二日酔いの頭を醒まさせる。
「日吉くん、餅焼けたぞ」
 一番年配の警備スタッフの声がした。
「すみません。あとは俺がやりますから」
 立ち上がった日吉が、すたすたと裸足でストーブの方に向かう。ストーブの上で餅を焼いてたのか。
 焼けて膨らんだ餅を皿に乗せると、一口しかないコンロの上でいい匂いをさせている鍋の中に餅を放り込んだ。姿勢のいい袴姿は新年によく似合うと思いながら、まだ酔いの抜けきらない頭で、日吉が剥いていたみかんを勝手に口に放り込んだ。
 やけに酸っぱい青いみかんの味が、心地良かった。
「二日酔いには汁物がいいそうですよ。うちの雑煮は江戸風じゃなくて申し訳ないですが」
 差し出しだされた椀には、たっぷりの汁の中に、餅が一つと、細切りにした大根や人参、鳴門、芹、イクラに、魚の干したの、何かよく分からないスポンジのようなものや、植物の茎を干したものと思われるもの、といった具がとにかく沢山入っていた。
「ああ、手作りのお節はいいねぇ、旨そうだ」
 ベテランの警備が炬燵の上に重箱を並べる。見た目はプロの作ったものには敵わないが、素朴で、心の籠った、手作りのその料理には、酷く心を打たれた。
 少し形の崩れた伊達巻も、少し皺の寄った黒豆も、醤油で薄茶色に染まった煮物の色も、金を出したからといって簡単に買えるようなものじゃない。
「きんとんの裏ごしは俺がやったんですよ。まあ、やらされた、って言うのが正しいんですけど。あれは力仕事だから」
 そう言いながら日吉が勝手に、俺の取り分け用の皿にきんとんを盛った。最初からそんな甘いのを山盛りで寄越すな。
「よければ皆さんもどうぞ。うちで一番小さい重箱に入れて貰ったんですけど、それでも沢山ありますから」
 そう日吉が声を掛ければ、いそいそと家庭の味に飢えた連中が炬燵に入ってくるから、日吉が俺の隣に詰めてきた。
 正座に座り直した俺の足に、胡坐をかく日吉の膝が当たる。何で、俺より幅取って座ってんだと思うが、正座だと爪先が冷えるんだろうと思い直して、出来るだけ横に詰めてやった。
「いただきます」
 両手を合わせてそう言う日吉に全員が倣う。もちろん俺も同じようにした。
「来る途中に小さい神社があるの見つけたんで、後で初詣に行きませんか?
 あ、靴と靴下貸してください。やっぱり足袋なしは寒いんで」
 日吉が俺の方をちらりと見て、相変わらずの表情の分かりにくい顔でそんな事を言う。
「……分かった。なんなら、着替えも貸すぜ?」
「いえ、初詣したら帰りますから。多分もう抜け出した事はばれてると思いますけど、でも、いいです。
 こうして、跡部さんをからかいに来ることができましたから」
 ――からかうって程、からかっちゃいねぇだろ。
 周りに警備の連中がいるせいか、嬉しそうに見えるのは、ほんの少し細められた、俺の方を向こうとしない三白眼だけだ。
 とりあえずはその横顔だけで満足をして。黙って雑煮を啜っている俺に、向かいに座った年配の警備が、軽くウインクしてみせた。
「俺からぼっちゃんへのお年玉は気に入って貰えましたかね」
 それを聞いた日吉が隣でくくっと笑う。
 俺は肩を竦めて答えた。
「……最高じゃねーの」
 屋敷は空っぽでも。
 やけに充実した新年の一日目が、そこに、詰まっていた。

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2014.01.15 (Wed)
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