酒と薔薇の日々(薔薇と酩酊):誰もいない玉座の後日談(余韻)シリーズの更に後の話し。
25歳くらいの、大人になった跡部と日吉の短編など。ややエロ~R18指定。
pixivにて6作品を公開後、文庫化のため非表示に。
2013年12月5日に文庫「余韻/薔薇と酩酊Ⅰ」に5作品を収録し発行した。
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余韻/薔薇と酩酊
「あとべさ……ッ、は、ァ……ッ」
俺の背中に回る腕。
「あ……、もっと……奥ッ、欲し……ッ」
耳元で、あえかに鼓膜を擽る、舌足らずな声。
「……日吉」
腕の中の体を引き寄せれば、背中を斜めに滑る痛み。
「俺ッ、……もッ、無理ッ……!」
震えるような痙攣を走らせて、しなやかに仰け反る、うすく日焼けした色の喉に誘われて。
唇を押し付けて、跡が残らぬように、柔らかくその肌を食む。
「も……ぅ、……ッ!」
どかりという衝撃に、目を開けた。
つい、今しがたまで俺の腕の中で喘いでいた筈の日吉が、くしゃくしゃの髪で、なぜか羽毛布団を斜めに体に絡ませたまま、心底不機嫌な藪睨みの顔で俺を見下ろしていた。
「俺の事殺す気ですか! 寝惚けて人の事ぎゅうぎゅう締め上げやがって、寝苦しいったらありませんよ!!」
「……んだよ、夢か……」
素肌の上に、俺の散らしたキスマークと香水の移り香だけを纏った日吉が、夢の中の甘やかな表情とは随分かけ離れた表情を浮かべていた。
ベッドの端に俺が転がっていることを考えれば、さっきの衝撃は押し退けられたせいかと察する。
そういえば、なんだか肩が痛い。
背中のひりひりする痛みは――夢の中の痛みと同じだ。
俺の腕の拘束から逃れて裸のまま起き上った日吉は、ベッドの端に脱ぎ捨てられていたバスローブに、立ちあがりながら袖を通す。
「ハ。あんなにぎゅうぎゅう抱きしめるなんて、夢の中で、随分かわいい人でも抱いてたんじゃないですか」
腰紐を結びながら俺を振り返った日吉に、寝惚け眼のまま頷いてベッドに起き上がる。
「ああ、可愛かった。体も華奢で、肌もすべすべで、髪の毛さらっさらで、跡部さん跡部さん、って、俺にしがみついてきて」
勢いよく飛んできた枕を受け止めた。
この勢いで、ベッドサイドの花瓶に掠りでもしてみろ。
勢いのまま花ごと壁まですっ飛ばしてブチ割れるに決まってる。
先月はうっかり受け止め損ねて、バカラのクリスタルの花瓶が割れて、なぜか俺がメイドに怒られた。
俺が買ったモンだというのに、理不尽だ。
「……じゃあ、その人と一緒に寝ればいいでしょう」
冷たい声でそう言って、日吉はベッドから降りる。
「最後まで聞けよ。――中等部の頃の夢だ」
「ああ、それじゃあ、今の、おっさんになったアンタには、さぞ可愛いんでしょう。ねぇ、跡部プロ?」
厭味ったらしくそう言った日吉は、ベッドサイドのテーブルに置きっぱなしになっていたグラスに、とくとくと音を立ててウイスキーを注いだ。
形よく丸く削られた氷は室温で溶けて半分程の大きさになっていたが、日吉は構わずに上から注ぐ。
「……自分に妬くんじゃねぇよ」
グラスを持つ日吉の左手の、その薬指を縛めて光る白金をぼんやりと眺めた。
そうだ、ここは中等部の頃に住んでいた日本の屋敷じゃない。
18歳になった年に、オックスフォードへの進学に合わせて、生活の拠点はイギリスに移した。
スポーツトレーナーを目指すと言っていた日吉を、半ば強引に日本からイギリスに呼び寄せて、そのまま俺専属のトレーナー兼恋人として雇ったのは19歳の時。
日吉は、言葉の壁にぶち当たり、まずいイギリスの飯に文句を言いながらも、持ち前の下剋上精神で、半ば自棄になりながらもスポーツ医学とスポーツマネジメントについての学位を取った。
そして、数多いる俺のトレーナーの中でも、最も俺に密着して、食事管理から、体調管理、財閥とテニスプロの二つの仕事のスケジュールの調整と、俺を公私に亘り密接にサポートするマネージャー兼トレーナーとして、働いてもらっている。
……メンタルは、どれだけサポートされているのか、実の所、俺にも今一つよく分からないが。
時間的には、日吉が俺のメンタルをどうこうするよりも、俺が日吉のメンタルをフォローしている方が……つまりは機嫌を取っている時間の方がずっと長いはずだ。
何せ、愛国精神に溢れた日吉は、日本を離れてからの数年間、ずっと臍を曲げっぱなしなのだから。
ちなみにそれは、日本から毎月のように最高級の米と味噌と醤油とぬれせんべいを取り寄せてやるだけでは、まだ許されない程の大罪らしい。
いつも二言目には、『イギリスの飯は不味い』と、恨めし気に言いやがる。
尤も、俺は、いつも日吉が作る飯を食っているので、イギリスの飯の不味さは別に気にならないのだが。
夢の中の感触を蘇らせながら、あの頃の日吉はまだ可愛らしいもんだった、と、思い出す。
日吉は、やっぱりあの頃から俺にツンケンしていたし、素直じゃなかった。
それでも、ベッドの中では、跡部さん跡部さんと――いや、しかし、待てよ。
あの頃からアイツ、俺をことある毎に罵ったり、俺に技を掛けたり、踏んでみたりと、下剋上したい放題してやがったんじゃねぇか?
時々見せる、照れたような含羞む表情の日吉にすっかり騙されてた当時の俺は、今思えば、まだまだ純粋だった。
こんなにふてぶてしく、ベッドサイドでロックグラスを弄びながら、気怠げに酒を飲むような奴になるとは思いもしなかった。
「……なに見てるんですか」
“黄金色の神の酒”という大層な名前のウイスキーを、ベッドの端に腰掛けて煽りながら、日吉はちらりと俺を見る。
日吉気に入りのハイランドのシングルモルトは、既にボトルの半分程まで、中身を減らしている。
ソーテルヌ樽で仕込んだというその随分と甘いウイスキーは、日吉が惚れ込んで自分の稼ぎで買ったもので――なら、結局は俺の金じゃねぇか、と、思う。
「明日は6時からトレーニングですよ、跡部さん」
そう日吉が冷ややかな声で言うのは、俺が、日吉がつい今しがたバスローブの腰へ結んだ紐を解いているからだろう。
「ああ、分かってる」
「だったら――大人しく寝たらどうです、と、言って聞く人じゃありませんでしたね、中等部の頃から」
日吉の口元に笑みが浮いて、唇がもう一度グラスに触れた。
まるでキスをするかのように。
背中からその体を掻き抱く俺に、甘い甘い酒との口づけを、見せつけるかのように。
唇が潤って。
貴腐の酒の香りを漂わせる吐息が、至近の空気を酔わせる。
その首筋に顔を埋めた。
酒の香が、肌から仄かに匂い立つ。
少し早い鼓動を打ち始めた肌へ、手を這わせる。
日吉は、まだ、グラスを置こうとはしない。
バスローブの襟首を引けば、肩が露わになる。
中等部の頃の体の薄さはもう過去のもので。
今は東洋人らしい、均整のとれたしなやかな体つきをして、俺をひどく惑わせた。
甘い酒に名残惜しいともう一度口づけて、日吉は、ようやくグラスをテーブルの上に置いた。
立ち上がれば、纏わりついていたバスローブがするりと床に落ちて。
俺に抱かれ慣れた体が、もう一度ベッドへと乗り上がる。
まるでしなやかな猫のように四つん這いになって、俺の足元からゆっくりと、美しいケダモノが一匹、俺に顔を寄せてくる。
「……中二の子供のことなんか、忘れさせてやりますよ」
そう言って、性悪猫は、俺の耳元でくすりと笑い声を立てた。
日吉の左手で白金色に光る指輪へキスを落としてやれば、くすぐったさそうに手が引かれて。
「よく言うぜ。テメェも、中一の子供のテニスが未だに目に灼きついて離れてねぇだろう?」
俺の問いへの返事の代わりに。
俺の左手の薬指を縛める同じ指輪へ、日吉はそっと唇を押し付けた。
お互いがお互いを拘束しているという印。
縄張りを示すそれは、まるで絡みついた尾のように柔らかで愛おしい束縛だ。
「子猫よりも上手く啼けよ?」
「……にゃあ」
ふざけて猫の鳴き真似をする日吉に、本当の啼き声を上げさせる為。
体の上下を入れ替えながら、俺は、嫉妬心の強い気まぐれな猫が逃げ出さないよう、押さえつけるように組み敷いた。
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