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全体ミーティングで自主練習についての諸注意が監督から伝達されて、今年最後の部活が終わった。
この氷帝では、冬休みには、基本的に部としての活動はない。
休みを利用して海外に行く奴も多いし、クリスマスを大事にするクリスチャンの生徒も多いからだろう。
コートや部室は自主練習にのみ使われるから、それぞれ使う奴が責任をもって管理することになる。
だから、この冬休みの期間だけ、各部の部長はその業務の一切から解放される。
つまり俺も、この三週間ほどの休みの間だけは、部活から解放されることになっていた。
もちろん、他の時期同様、気を抜くつもりはない。
よその学校はしっかり部活をしている所も多いだろう。
冬休み返上で練習漬けの所もあるだろうに、冬休みを休んだために遅れが出るような事があって堪るか。
まだ跡部さんに下剋上出来ていない俺に、のんびりと休みを満喫するなんて暇がある訳がない。
だから、特に用事がない限りは、毎日、普段と変わらず出てくるつもりではいたけれど。
――でも。
密かに、クリスマスの日だけは、約束を入れていたりもした。
俺にだって、クリスマスを楽しみにする気持ちくらいはある。
まして今年は、俺にとっては特別な相手――初めての恋人と一緒に過ごす約束をしていて。
恋人と過ごすクリスマスなんて、生まれて初めての事で。
冬休みの解放感と同時に、照れ臭さ半分、そして、残り半分の嬉しさも噛み締めていて。
あの人へのプレゼントは何がいいのかなんて、少し浮かれたことを考えながら、部室のドアを開けた俺は。
「よ! ヒヨッコ久しぶり!」
そのまま、ドアを閉めたくなった。
「おい! 閉めんじゃねー!!」
部室の中で跳ねないで欲しい。
埃が立つから。
「……なんでいるんですか、向日さん……先輩方」
俺が財前の所の部長だったら、思う存分その行為の無駄さ加減を指摘してやるところだ。
でも生憎、目の前の(主に身長が)可愛らしい先輩は、それでも先輩なので、俺がそんな事を指摘しては角が立つだろう。
いや、そんな事は重要じゃない。
俺が突然記憶障害にでもなった訳じゃなければ、三年生は、とっくに引退した筈だ。
それなのに、忍足さんや滝さんは寛いでいるとしか言いようのない様子でPC前の椅子を占領しているし。
芥川さんに至っては、ソファにだらんと横になってグーグーいびきをかいている。
そして、つい今さっきまで、うすら甘酸っぱい俺の脳裏にいた筈の跡部さんは、樺地に紅茶を淹れさせて、俺が豹皮を引きはがしてやった自分専用ソファで優雅にティータイムを楽しんでいる。
……一体、どういう事だ。
新しくレギュラーになったばかりの、先輩に慣れていない奴らは、不甲斐ないことに、すっかり恐縮してしまったらしく。
さっさと着替えて、そそくさと帰っていってしまった。
鳳だけが嬉しそうに宍戸さんと話をしていて、後で蹴ってやろうと心に決める。
ただ俺も。
先輩達が引退してから一月ほどが経過しているというのに。
そんな鬱陶しい光景を、ほんの少し、懐かしいと思ってしまって。
――同時に気が緩むのを感じたのは、俺がそれだけ普段気を張っているということだろうか。
「ちぇ、なんだよ。折角、新レギュラーと遊んでやろうと思ったのによー」
前言撤回。
先輩として後輩を思う気持ちがあるんなら、部活の邪魔をしないで欲しい。
でも多分、この人たちは、そんなモンはロクに持ち合わせてないんだろう。
良くも悪くもマイペースな人達だから。
「一体何しに来たんですか、アンタら。部外者は出て行って下さいよ」
呆れた声を出した俺に、向日さんがいたずらっ子のような(「ような」ではなく、そのものかも知れない)顔をして、偉そうにふんぞりかえる。
「んだよヒヨッコ。俺達は新レギュを誘いに来たんだぜ?」
「……誘いに?」
「跡部主催のクリスマスパーティーがあるんだけどよ、お前らも行きたいだろ?」
まるで自分が『してやった』ような顔をする向日さんに溜息が出る。
跡部さん主催な以上、向日さんはただ喰って騒ぐだけだろうに、どうしてそういう顔をするんだろう。
大体、今年のクリスマスは二人で過ごすから時間を開けておけと、俺は跡部さんから言われていた筈だ。
「……パーティー、やるんですか?」
俺は向日さんではなく、跡部さんを振り返った。
「ああ」
正直、俺は少しイラッとしていた。
俺との約束の方が先だった筈なのに。
跡部さんは、この人達とのパーティーを優先する気なのか、なんて。
自分でも下らなくなるくらい、嫉妬じみた、下らない不快感が湧きあがってきて。
でも跡部さんは、元・自分専用の椅子で長い脚を組んだまま、俺が何を訊きたいかを知っているかのように、俺に向かって優雅に笑ってみせた。
いや、実際、俺が聞きたいことなんか、ずっかりお見通しなんだろう。
「……こいつらがパーティーしてぇ、ってうるせぇからな。
だが、イブや当日は家族や恋人と予定がある奴もいるだろ?
だから明日の夜にパーティーをやることにした」
跡部さんは、しれっとした顔で、そう言ってのけた。
ちゃんと、俺への返事まで織り込んでしまう辺りが、この人らしい。
思わず漏れた溜め息は、認めたくないけど、安心したせいで。
そんな事を気づかれたくなくて、俺は、跡部さんの口元に浮かぶ意味ありげな笑みから顔を逸らして。
誤魔化すように携帯を開く。
「明日とは……随分と、急ですね」
吐き出した声は、思ったよりも苦々しい響きになってしまった。
明日から休みに入るのに、一晩で全員に連絡が回りきるだろうか。
余興なんかしろとか言わないだろうな。
プレゼントの準備とか……いや、こういう場合は跡部さんが何か配るんだろう。
この人達が運んでくる面倒事に慣れた頭が、予測できる事態を次々に浮かばせる。
でも、跡部さんは、ソファに沈み込んで腕を組んだまま笑って俺を見上げるだけだ。
「別に何も準備は必要ねぇぜ。
ただ参加してぇ奴を集めりゃいい。
パーティーの準備は屋敷の連中にやらせるし、余興が欲しけりゃ暇な三年がやるだろ。なぁ?」
跡部さんの声に、忍足さんが肩を竦めた。
「俺なんかなんもできへんで……」
「なんなら手品でも披露しようか」
「えっ、滝、手品できんの!? マジマジすっげー!」
「バンジーやろうぜ、バンジー!」
詳しい話は全く決まっていないようだけど。
とにかく、先輩達がどうにかするつもりらしい。
それなら、この突拍子もない先輩達に慣れていない一年や二年の新レギュラー達も、あんまり困らないで済むか。
内心胸を撫で下ろした俺を見透かすように、跡部さんがドヤ顔で俺をじっと見た。
「……だからそう直接言いに来たんだが、新しいレギュラーは帰っちまったようだな。
樺地、メールで連絡回しとけ」
「ウス」
跡部さんの指示に、樺地がメールを打ち始める。
……たったそれだけの話だったというのに、無駄に気疲れした。
この人たちが持ってくる話というだけで、どうも、警戒する癖がついてしまっているらしい。
やれやれ、と。
部誌を書こうとPCに手を伸ばしたら、話を終わらせたはずの跡部さんがじっと俺を見ている事に気付いた。
俺がそちらを見たら、跡部さんが一つ瞬きをする。
少し、視線が険しい。
一体なんなんだ。
俺の顔に何かついてるんだろうか。
「……おい、日吉」
問い返すまでもなく、跡部さんが少し厳しい顔で俺を呼んだ。
「こっちに来い」
跡部さんがソファを軽く叩く。
俺をじっと見る目は思ったよりも厳しいもので、ほんの少しだけ、怯みそうになる。
「なんですか」
少し不機嫌そうに頬杖をついた跡部さんの前に立った途端。
立ち上がった跡部さんが顔を寄せて来るから、こんな所で何をする気かとぎょっとした。
「ちょっ!?」
押し退けようとした手を掴まれて、引き寄せられて。
跡部さんの顔がすぐ目の前に近付いて。
思わずぎゅっと目を閉じたら。
跡部さんの指が、俺の頬の上を滑った。
「やっぱりそうだ」
右の頬から顎を通って左側へ、ゆっくりと指が俺の顔を撫でていく。
何が起きているのかを理解できなかった俺は、多分、目を白黒させたに違いない。
「……テメーの顔、皮めくれてんじゃねぇか」
「え」
酷く憤慨したような跡部さんの声。
その内容を理解できずに、頭の中で繰り返した。
俺の顔の皮がめくれてる?
怪我なんかしていない。
そういえば、朝に顔を洗った後、少しひりひりするなと思っていた所だ。
もしかして。
ここ最近乾燥してたから、肌荒れでも起こしたのか。
だからそれで、この人は怒ったような顔をして、こんな唐突な事をして寄越したのか。
――なんだ。そんなことか。
一気に緊張が緩んで、その分一気に気恥かしくなった。
こんな所で、キスでもされるんじゃないかと思った。
そんな自分の勘違いに、余計に、恥かしくなってしまう。
でも、俺の緊張は緩んだのに、跡部さんはまだ不満そうな顔のままだ。
「日吉、座れ」
跡部さんが、自分が座っていたソファを指差す。
「なんや、面倒見いいなぁ」
「五月蠅ぇ。気になんだよ」
忍足さんの冷やかしを軽く無視した跡部さんが、入れ替わりに俺をとすんとソファに座らせる。
そして、自分の荷物からチューブに入ったハンドクリームのようなものを取り出して。
くるくるとキャップを開けて、白いクリームを指に乗せて。
言われるままに大人しくしていた俺も、そこまでするのを見て、ようやく、跡部さんの意図に気付いた。
「……あの」
「じっとしてろ」
跡部さんは指先に取ったクリームを、ちょん、ちょん、と、紙に絵の具を乗せるように俺の頬へ乗せた。
鞄の中で冷えていたらしいそれは結構冷たい。
そして、周りからの、先輩達の視線が、痛い。
「……それを貸して頂ければ自分で」
「口も動かすんじゃねぇ」
跡部さんは至極真面目な顔をして、俺の顔を覗き込んでくる。
「あの、そんなの、自分で塗れますから」
「うるせぇ」
跡部さんはいつも通りの俺様モードで、俺の言う事に耳を貸そうともしない。
先輩達は、俺と跡部さんのやりとりを見て、ニヤニヤと笑っているのを隠そうともしない。
「日吉ぃ~、跡部がやるって言ってんのやから、諦めてじっとしとき」
忍足さんの冷やかしに、俺は冷やかな視線だけを投げつけた。
一体、なんでこんなことを、こんな所で。
携帯を操作している樺地がこちらを見ていないのが、まだせめてもの救いだ。
跡部さんは真剣な眼差しで俺の顔をじっと見ると、頬に乗せたクリームを、指先で伸ばし始めた。
跡部さんの使うクリームらしく、高級そうな薔薇の香りがする。
ひんやりとした指が顔の上を滑っていって。
薄いクリームが顔を包み込むようで。
妙な感覚だ。
思ったよりもずっと丁寧に、触れるか触れないかの感触でクリームを塗りたくられて困惑する。
「触るとざらざらするな。肌、ガッサガサじゃねーか。
おい、萩之介、ヘアゴムねぇか」
「あるよー」
跡部さんは俺の頬から手を離すと、俺の前髪を滝さんから借りたゴムで結わえつけた。
額の天辺で、昔の子供にするみたいに雑に結んだだけだ。
「ヒヨッコ、かーわいいー!」
俺の格好を見た向日さんが噴き出して、早速スマホのカメラを俺に向けて来る。
一体どんな様子になっているか……鏡を見なくても想像がつくのが、地味にツラい。
全く、いい晒し者じゃないか。
「そこまでしなくていいで……ふグっ」
跡部さんは大真面目な顔をして、俺の頬から額、そして鼻にまで、丁寧にクリームを伸ばしていく。
そして、馴染ませるように肌を軽く押してくるから、両手で頬を押されて、言おうとした言葉が変な音で潰れた。
「黙ってろ」
さらに跡部さんは腕まくりまでして、手の上に多めにクリームを出し、両手に広げて、その手で俺の顔を包み込んだ。
両の手の平が俺の顔をぺたりと包み込む。
跡部さんの手は、あちこち角質化した俺の手とは比べ物にならないほど柔らかくて、ほんのりと温かい。
両手の指で頬から撫でるようにして、クリームを塗り広げられて。
額の中心から、鼻の脇、顎と、皮膚の隅々まで丁寧に塗っていく。
かと思えば、むにむにとどう考えても面白がってるだろうという風に頬を揉まれたり押されたりもして。
多分、先輩達の目の前で、俺の顔は百面相をさせられていたに違いなかった。
「はは、日吉、スゲー顔してる」
「よっぽど嫌なんやな」
「額の皺の間まで塗ってやれよー」
先輩達はそんな事を言ってる。
けど実は、思ったよりも手の感触が気持ち良くて、顔に力を入れていないと顔が緩みそうだった。
「ほら、目も閉じろ」
瞼にごくごく軽く触れた指が離れて。
そのまま手が離れたら、少し長い中断があって。
目を閉じたままでいたら、今度は唇にまで何か塗られてる感触があった。
目を開ければ、予想通り、跡部さんがいつも使っているリップクリームを俺に塗っている所だった。
「……跡部さん、それは他人のを塗るもんじゃないでしょう」
「リップクリーム位でガタガタ言うんじゃねぇ」
「それはないんじゃないですか。
唇に付けるものですよ?」
抗議をしたら、跡部さんの手が、俺の額の中央をぴしゃりと叩いた。
「不満なら、こんなにほったらかしてガサガサにしとくんじゃねぇ」
「スキンケアに興味のない奴なんかぎょうさんおるやん」
じいっと俺の顔を覗き込んでくる青い瞳は真剣そのもので、怒られているような気分になる。
「皮が剥ける程だぜ? こんなんじゃ、傍から見てるだけで痛ぇだろ」
跡部さんはそう言うと、さりげなく俺の唇に塗ったばかりのリップクリームを、自分の唇に塗って、そのスティックをポケットに仕舞った。
あ、と思った時には遅く。
さりげないその仕草を見ていたらしい芥川さんが飛び起きて跡部さんを指差す。
「あとべ! 今の間接キスじゃん! ヤベー!」
「跡部、やるねー」
芥川さんが騒いでいる向こうで、訳知り顔で滝さんが苦笑して。
スマホを俺に向けっぱなしの向日さんまでゲラゲラと笑っている。
子供じみた指摘だとは思うが、やっぱり、そんな風にからかわれるのは少し不快に感じるというのに。
跡部さんは、からかいの言葉を気にした風もない。
「アーン? こんなもん子供の挨拶にもならねぇよ。
何ならテメーらも俺のリップクリーム使うか?」
「やだ! 俺、跡部と関節キスしたくねーC!」
俺が睨んでも芥川さんも滝さんもどこ吹く風。
これが今のレギュラーなら、俺の一睨みで竦み上がるというのに。
……これだから、この人たちはやりづらい。
「日吉。少しべたつくかもしれねぇが、帰って風呂に入るまで、そのままにしておけ」
跡部さんが軽く俺の頭を撫でて。
そんな命令が、普段よりも少し優しい声で、俺に下される。
……くそ。
なんでこんな目に。
不意打ちに俺は顔を逸らすことしかできない。
「顔洗った後には、クリームくらい塗っておけよ。
……触り心地が悪ぃだろ?」
耳元で囁かれたその一言に。
塗られたクリームは、既に冷えているというのに。
妙に、頬が熱くなった。